企業理念The Kawajiri Value

ビジネス環境の変化にあわせ、大胆に自らを進化させる。

私たちは、次の企業理念、将来像を常に念頭において、社会とともに持続的に発展できる企業を目指して様々な取組みを推進しています。

  • 1.

    地球環境との調和の中で、材料・物質の革新と創出を通して高品質の製品とサービスを顧客に提供し、もって広く社会に貢献する

  • 2.

    絶えず革新による成長を追求し、グローバルに存在感のある商社機能を超え開発科学総合企業

  • 3.

    経済軸・環境軸・社会軸から成る3軸経営を深化させ、長期的視点に立った経営を行い、社会課題の解決に向けた取り組みを行うことで、社会と共に持続的な成長・発展を目指す

将来像Kawajiri Future Vision

川尻工業は、第一線で試験研究開発に力を注ぐ研究者と共に、未来のより良い社会づくりを目指し取り組んでいます。

日々、研究者の方々から「もしも、こんな製品があれば」「文献に出ていた製品が欲しい」「同等品質でより良く安価に使いたい」といったご相談をいただき、 私たちは可能な限り実現して参りました。難しいご相談内容でも、いい結果のためへの革新に期待を巡らせながら、長年培った知識をもとに創意工夫を重ねます。

私たちは少数精鋭の強みを生かし、研究者の皆様から気軽にご相談いただける関係を大切にしている企業でありたいと思っています。

私たちを信頼してくださり、試験研究開発の正しい判断をするお手伝いを縁の下で支えさせていただけることは何事にも代えがたい喜びなのです。
「今までなかった」と研究者の皆様から時折頂戴する賛辞は、私たちにとって明日の活力となり、更に企業価値を高める意欲となります。

企業理念として掲げた志を大切に、常に知恵と技術を磨き、企業価値の向上を目指していきます。

技術ポリシーTechnical policy

当社は専門知識の習得に熱心なメンバーが揃っています。
お客様の期待に応えるためには「向上心」「探究心」が不可欠です。
世の中で当たり前のように使われている技術はすべて人間の努力の証です。
私たちは最新であり最適な知識のもと、
人間が生み出した巧みな技術を必要とするお客様にお届けします。
技術者と研究者をつなぐ大切な役割を担える能力を常に鍛えています。

また、当社は軍事用途、大量破壊兵器の開発への技術支援は一切行いません。
取引先審査を厳密に行い、平和な社会の創造に貢献できる技術提供を行います

中期計画Medium-term plan

川尻工業は、専門の分野へのユーザ様へ最先端かつ高性能な製品を提供する。

研究や試験、検案に対し常に正しい評価ができる様、細心をもって製品を提供し、
効果効能がより早く、限られた予算を適切に執行できる、利益のみを追求した事業ではなく、
適正な価格を持って提供します。

企業ロゴマークの由来Logo

すべてのステークホルダーに提供する「安心と安全」。
そして、創業者の恩人の名前から一文字いただきました。
恩義を忘れず、真摯に事業に取り組み50年が経ちました。

川尻工業の礎Medium-term plan

川尻工業では、過去の時代のいいものやそれが標準だったこと、現在の標準や最高のことまで網羅しています。

  • 全ては皆様とのお話しから始まりました。

    モールス信号発信機

    川尻工業ができる前、すなわち祖父の時代は函館で数十隻漁船を所有し網元であり海産物加工商を行なっていました。
    今では普通にある、鮭の燻製を北海道で初めて作りました。
    当時、保存食を作っていることから、各方面の日本軍隊向けへの製品を作っていました。この仕事には、安定した信号を確実に発信することが求められており、モールス信号を使用していました。

    モールス信号を発信できる施設を所有し、各方面とやりとりを行なっておりましたが、その時代のモールス信号発信機の一部が今も残っています。 このモールス信号発信機は、国産と英国製(Gambrel Bros Ltd.社)のものです。各部品は真鍮とベークライトや木を使って作っています。
    川尻家の家業は時代の流れとともに変化していますが、祖父の時代からの誠実さを守っています。常に正確な仕事と適切な価格をもって、各方面からも信用される会社を目指しています。

  • 一本の電話から全ては始まりました。

    黒電話(ダイヤル式)

    あのとき来ていた川尻さんのところですかと、営業サポートとして回っていたとき、試験システム構築の話があり携わっていました。当時は予算的な兼ね合いから断念したものの、その時の印象と遣りたいことが出来るようになった。と連絡をいただけました。
    しっかりと、試験システム構築もできて、さらに動物実験のための特殊な装置を任せていただき、試験結果が大成功をおさめ、世界的に著名な科学学会誌に載ることもできました。様々な事に応用を利かせ、試験目的用ではなかったことが、その試験にズバリ適合し、アイデアが繋がりました。

    待ちではなくとも、会社として今まで問題をお持ちの多数の方からご意見をいただき、自社製品として創りあげ、既存製品よりもより良い製品を知っていただくため、会社名が通っていませんので、アポイントから始まりました。
    現在は、リダイヤル機能や電子メールが使えるため、お客様やお取り引き様に対してとても簡便になりました。
    数年前までは、弊社では未だ黒電話を使っていました。
    セキュリティの問題のこともありましたが、必ず電話が繋がる安全なものとしては、一番です。
    アポイントや交渉をするため、度々ダイヤルを回すと指の周りがタコになることがありました。会社の基礎を作ってくれた電話です。(昭和37年岩崎通信機製でベークライト製です)

  • 天秤はかり

    天秤はかり(竿ばかり)

    商人としての基本である、正しく量り売る。
    この姿勢から、商いとしていつも公正な評価をして、曖昧な取引は一切しません。
    校正も政府機関で行ない、お墨付きをつけていただき、不公平なく現在も人事やコンプライアンスには適正かつ遵法的に行動規範を作っています。

    現在は使われておりませんが、先々代で使われていたものがその証として在ります。

  • 箱型五つ珠算盤

    箱型五つ珠算盤(そろばん)

    この算盤は問屋そろばんといわれ現在のそろばんと違い「底」があります。
    「底」があることによって「商い」の際に、相手に価格が見えないという利点をもちます。
    「商い」は駆け引きの世界です。どんなに正当に前向きに接しても裏をかく方が今も昔も変わりなくおりました。
    ここで赤字を出さなく、正当な利益を商いとしてするための工夫が凝らされています。
    昔の習わしとして、裏側に名前を掘ることもありました。現在の先々代は海産物商を行なっていましたので、その時に所属していた組合の名前が掘られています。

    日本に算盤が伝わってきたのは室町時代頃、中国より伝わったといわれております。
    珠の形も鋭角では無くダンゴ状の珠で上に二珠、下に五珠でした。
    それから日本独自に改良がされ、珠も弾きやすいように鋭角になり計算もしやすいように上に一珠、下に五珠に変化しました。
    「商い」で使用される以外に明治時代より、小学校でも算盤の教育が義務付けられ昭和初期にはさらに計算を早くするために現在の四つ珠へと変化しました。
    昔ながらのものも少しづつ時代のニーズに合わせて現在は電卓へ変化しています。

●過去に販売していた代表的な製品のほんの一部分です。

タイガー計算機

計算機ができる前、機械式計算機が使われていました。タイガー計算機とよばれ、現在も正常に動作しています。乗除算もでき、使い方が正しければ大きな単位も簡単に演算できます。そろばんと同時に使われていました。

キップ式ガス発生器

キップ式ガス発生器。
オランダのペトルス・キップ氏が発明し、日本にも渡り、ガラス職人が作っていました。現在は専門の宙吹き職人は居ません。
化学物質の固体と液体を反応させガスを発生させます。ガスボンベが手に入らない際使われていました。代表的なのは石灰石と塩酸。二酸化炭素を発生させ粗製ガスを精製して実験に使っていました。

光学顕微鏡

現在は白熱電球や白色LEDを光源として用いていますが、当時は電気スタンドや太陽光で光をスライドガラスに集めてミクロの世界を観察していました。
光をいかに効率よく集めるかが、技術の見せどころで、学会発表では綺麗な写真を撮る方が脚光を浴びていました。 それより以前はスケッチをすることしかなく、見たままの細胞の絵を描くことが難しく描けて一人前だったそうです。
病理検査や細菌の同定検査に使われていました。

カゴ瓶(硫酸瓶)

ポリタンクや一斗缶が出る以前は、カゴ瓶が使われていました。 宙吹きの硝子瓶を藁(ワラ)で包み竹籠(竹かご)で編んでいました。 宙吹きガラスは、ガラス製の漁業用浮き玉を作る職人さんが型に入れ一個づつ手作りです。 カゴももちろん、職人さんが一個ずつ竹ヒゴで編み込んでいます。 今ではプラスチックを多用し発泡スチロールやウレタンが使われていますが 藁や竹を使った当時一番柔軟性があって加工がしやすい知恵には圧巻されます。

ホルマリン、アンモニア水、硫酸等の工業薬品や試薬向けの容器として、古くから容れられて大入り用途で使用されてきました。 容量は20リットル入りで親しまれていました。 カゴ瓶は重いので、鋳鉄製の傾ける架台もありました。 弊社が納めたお客様で大切に保管されていました。

完全な綺麗な物としては珍しく、残す必要があり、貴重な資料で科学史の本にも残っています。

液体窒素容器の変遷

液体窒素容器の変遷です。
液体窒素容器は、当初ガラス製でした。
液体酸素・液体窒素・液体水素、液体ヘリウムなどは寒剤といわれ、冷却するための材料として呼ばれています。 金属製魔法瓶が開発され、より大きな容量の寒剤が貯蔵できるようになりました。寒剤を長く貯蔵するためには、外界からの熱伝導を断ち切ることが必要です。 魔法瓶は二重隔壁になっていますが、その間は真空です。とてつもなく高い真空度で、特殊なポンプを使って空気を抜いています。

上の写真は、
大阪酸素工業製(現エーテック)の容器で、
左側が現在のもの、右側が昭和44年の物です。

下の写真は、
東理社製(現ジェック東理社)の容器で、
左側が現在のもの、右側が昭和50年代の物です。

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