50年の歩み
川尻工業の礎
川尻工業では、過去の時代のいいものやそれが標準だったこと、現在の標準や最高のことまで網羅しています。
全ては皆様との話しから始まりました。
モールス信号発信機

川尻工業ができる前、すなわち祖父の時代は函館で数十隻漁船を所有し網元であり海産物加工商を行なっていました。今では普通にある、鮭の燻製を北海道で初めて作りました。当時、保存食を作っていることから、各方面の日本軍隊向けへの製品を作っていました。この仕事には、安定した信号を確実に発信することが求められており、モールス信号を使用していました。

モールス信号を発信できる施設を所有し、各方面とやりとりを行なっておりましたが、その時代のモールス信号発信機の一部が今も残っています。このモールス信号発信機は、国産と英国製(Gambrel BrosLtd.社)のものです。各部品は真鍮とベークライトや木を使って作っています。川尻家の家業は時代の流れとともに変化していますが、祖父の時代からの誠実さを守っています。常に正確な仕事と適切な価格をもって、各方面からも信用される会社を目指しています。

一本の電話から全ては始まりました。
黒電話(ダイヤル式)

あのとき来ていた川尻さんのところですかと、営業サポートとして回っていたとき、試験システム構築の話があり携わっていました。当時は予算的な兼ね合いから断念したものの、その時の印象と遣りたいことが出来るようになった。と連絡をいただけました。しっかりと、試験システム構築もできて、さらに動物実験のための特殊な装置を任せていただき、試験結果が大成功をおさめ、世界的に著名な科学学会誌に載ることもできました。様々な事に応用を利かせ、試験目的用ではなかったことが、その試験にズバリ適合し、アイデアが繋がりました。

待ちではなくとも、会社として今まで問題をお持ちの多数の方からご意見をいただき、自社製品として創りあげ、既存製品よりもより良い製品を知っていただくため、会社名が通っていませんので、アポイントから始まりました。現在は、リダイヤル機能や電子メールが使えるため、お客様やお取り引き様に対してとても簡便になりました。数年前までは、弊社では未だ黒電話を使っていました。セキュリティの問題のこともありましたが、必ず電話が繋がる安全なものとしては、一番です。アポイントや交渉をするため、度々ダイヤルを回すと指の周りがタコになることがありました。会社の基礎を作ってくれた電話です。(昭和37年岩崎通信機製でベークライト製です)

天秤はかり
天秤はかり(竿ばかり)

商人としての基本である、正しく量り売る。この姿勢から、商いとしていつも公正な評価をして、曖昧な取引は一切しません。校正も政府機関で行ない、お墨付きをつけていただき、不公平なく現在も人事やコンプライアンスには適正かつ遵法的に行動規範を作っています。

現在は使われておりませんが、先々代で使われていたものがその証として在ります。

箱型五つ珠算盤
箱型五つ珠算盤(そろばん)

この算盤は問屋そろばんといわれ現在のそろばんと違い「底」があります。「底」があることによって「商い」の際に、相手に価格が見えないという利点をもちます。「商い」は駆け引きの世界です。どんなに正当に前向きに接しても裏をかく方が今も昔も変わりなくおりました。ここで赤字を出さなく、正当な利益を商いとしてするための工夫が凝らされています。昔の習わしとして、裏側に名前を掘ることもありました。現在の先々代は海産物商を行なっていましたので、その時に所属していた組合の名前が掘られています。

日本に算盤が伝わってきたのは室町時代頃、中国より伝わったといわれております。珠の形も鋭角では無くダンゴ状の珠で上に二珠、下に五珠でした。それから日本独自に改良がされ、珠も弾きやすいように鋭角になり計算もしやすいように上に一珠、下に五珠に変化しました。「商い」で使用される以外に明治時代より、小学校でも算盤の教育が義務付けられ昭和初期にはさらに計算を早くするために現在の四つ珠へと変化しました。昔ながらのものも少しづつ時代のニーズに合わせて現在は電卓へ変化しています。

過去に販売していた代表的な製品のほんの一部分です。
タイガー計算機

計算機ができる前、機械式計算機が使われていました。タイガー計算機とよばれ、現在も正常に動作しています。乗除算もでき、使い方が正しければ大きな単位も簡単に演算できます。そろばんと同時に使われていました。

キップ式ガス発生器

キップ式ガス発生器。オランダのペトルス・キップ氏が発明し、日本にも渡り、ガラス職人が作っていました。現在は専門の宙吹き職人は居ません。化学物質の固体と液体を反応させガスを発生させます。ガスボンベが手に入らない際使われていました。代表的なのは石灰石と塩酸。二酸化炭素を発生させ粗製ガスを精製して実験に使っていました。

光学顕微鏡

現在は白熱電球や白色LEDを光源として用いていますが、当時は電気スタンドや太陽光で光をスライドガラスに集めてミクロの世界を観察していました。光をいかに効率よく集めるかが、技術の見せどころで、学会発表では綺麗な写真を撮る方が脚光を浴びていました。それより以前はスケッチをすることしかなく、見たままの細胞の絵を描くことが難しく描けて一人前だったそうです。
病理検査や細菌の同定検査に使われていました。

カゴ瓶(硫酸瓶)

ポリタンクや一斗缶が出る以前は、カゴ瓶が使われていました。宙吹きの硝子瓶を藁(ワラ)で包み竹籠(竹かご)で編んでいました。宙吹きガラスは、ガラス製の漁業用浮き玉を作る職人さんが型に入れ一個づつ手作りです。カゴももちろん、職人さんが一個ずつ竹ヒゴで編み込んでいます。今ではプラスチックを多用し発泡スチロールやウレタンが使われていますが藁や竹を使った当時一番柔軟性があって加工がしやすい知恵には圧巻されます。

ホルマリン、アンモニア水、硫酸等の工業薬品や試薬向けの容器として、古くから容れられて大入り用途で使用されてきました。容量は20リットル入りで親しまれていました。カゴ瓶は重いので、鋳鉄製の傾ける架台もありました。弊社が納めたお客様で大切に保管されていました。

完全な綺麗な物としては珍しく、残す必要があり、貴重な資料で科学史の本にも残っています。

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液体窒素容器の変遷

液体窒素容器の変遷です。液体窒素容器は、当初ガラス製でした。液体酸素・液体窒素・液体水素、液体ヘリウムなどは寒剤といわれ、冷却するための材料として呼ばれています。金属製魔法瓶が開発され、より大きな容量の寒剤が貯蔵できるようになりました。寒剤を長く貯蔵するためには、外界からの熱伝導を断ち切ることが必要です。魔法瓶は二重隔壁になっていますが、その間は真空です。とてつもなく高い真空度で、特殊なポンプを使って空気を抜いています。

上の写真は、大阪酸素工業製(現エーテック)の容器で、左側が現在のもの、右側が昭和44年の物です。

下の写真は、東理社製(現ジェック東理社)の容器で、左側が現在のもの、右側が昭和50年代の物です。

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水銀拡散ポンプ(ディフィジョンポンプ)

拡散ポンプは、当時は水銀式が主でした。現在も使うことがありますが、水銀の有害性があり今はほとんど使われることがありません。このポンプは当時(昭和20年ごろ)弊社が販売し有機合成物生成装置に使われていたもので、状態が非常によく破損もありませんでした。歴史的価値のあるもので、現在のガラス職人は本品を参考にしなければ作れないものです。水銀は蒸気圧が低く、脱ガスも少ないため、真空材料としては絶好のものでした。拡散ポンプや真空ラインは、ガラス製のものが多く、加工が簡便で漏れがないことでした。

また内容物が見えることがあり、大変便利でした。拡散ポンプの用途は、通常の真空ポンプよりも真空度を高くすることを目的に使われます。真空度は、通常ロータリーポンプは10-2Pa程度で、拡散ポンプは10-4Pa程度です。ちなみにターボ分子ポンプは10-6Pa程度です。低真空・中真空・高真空・超高真空・極高真空まで領域があります。

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現在も、真空ラインは有機化学においては現役で使われていますが、拡散ポンプは化学合成物で有害性が低いもの、鉱物油を使う様になっています。真空は空気がないために空気中の酸素や化学物質と反応させない為に使ったり、空気と内部を遮断して、空気の熱伝導を遮る事に使われます。拡散ポンプは、水銀や油を使い、ヒーターなどで加熱し、蒸発させジェットと呼ばれる部分から蒸気を噴出させ、その蒸気を周りの水冷管で再凝縮させる行為を超高速で人の目では見えない速度で連続して空気やガスを移動しています。現在は金属製の拡散ポンプが主流化し、また空冷式もあります。物理の業界方面は機械式が増えターボ分子ポンプがあり、高速で回転する翼で、空気分子を叩き排気(移動)する仕組みのポンプが最も増えています。